東京『文芸散歩』のすすめ

趣味

東京五輪・パラリンピックが開かれる2020年は、観戦のため全国各地から上京する人が増えそうです。

せっかくの機会にお勧めしたいのが「文芸散歩」です。

ほんの少し足を延ばすだけで、夏目漱石ら文豪ゆかりのスポットを幾つも楽しめます。

樋口一葉が暮らした「本郷」

東京大学のある文京区本郷は、5千円札の「顔」でも知られる明治の女性作家、樋口一葉(1872~96年)のゆかりの地でもあります。

早くに亡くなった父親の借金により、「昨日から家にはお金というものは一銭もない」と日記に記すほど、生活は苦しかったそうです。

そんな一葉がたびたび通ったのが、都営地下鉄・春日駅から徒歩5分ほどの場所にあった「伊勢屋質店」です。

春には冬物、秋には夏物の着物を質入れして、当座の生活費を工面していた様子が日記などからうかがえます。

質店は一家の転居後も支え続け、一葉が亡くなった時の香典帳にもその名が記されています。

現在は「旧伊勢屋質店」として国指定の有形文化財に登録されており、重厚な土蔵と格子で囲われた店、座敷の3棟が当時をしのばせています。

普段は非公開ですが、週末や毎年11月23日の「一葉忌」には無料で一般公開されます。

旧伊勢屋質店から歩いて7分ほど、東京大学の赤門向かいに「法真寺」があります。

一葉が4歳の頃、まだ存命だった父親と一緒に同寺隣の「桜木の宿」に引っ越し、9歳までの5年間を過ごしました。

宿から境内の桜を眺める様子などが作品に記されています。

漱石ゆかりの地「早稲田」

日本を代表する文豪・夏目漱石(1867~1916年)は、現在の新宿区喜久井町に生まれました。

東京メトロ東西線・早稲田駅から徒歩5分ほどの場所に「夏目漱石誕生之地」の記念碑が立っています。

周囲にはビルや飲食店が立ち並び、往時の面影はほぼありませんが、碑周辺の緩やかな坂道は、漱石の父・直克が命名したとされる「夏目坂」の通称で、今も親しまれています。

記念碑から徒歩15分ほどの場所にあるのが、同区立「漱石山房記念館」。

生涯で30回以上も転居した漱石ですが、1907年に再び早稲田の地に戻り、亡くなるまでの9年間を「漱石山房」と呼ぱれた居宅で過ごしました。

山房は戦災で焼失しましたが、小説執筆の場だった書斎をはじめ、客間やベランダ式回廊などが記念館に再現されています。

同区によると、2017年9月のオープン以来、16万人以上が来場。

担当者は「『三四郎』や『それから』『こころ』などの名作を生み出した貴重な場の雰囲気を味わって」とアピールしています。。

入館料を払わずに利用できるカフェスペースも好評。

漱石ゆかりのお茶菓子や、企画展に合わせたメニューなども用意されており、気軽に訪れて楽しむことができます。

記念館裏手の漱石公園には、あの「吾輩は猫である」のモデルとなった漱石の飼い猫らを祭る「猫塚」があります。

季節折々の花々が楽しめる同公園の中でも、屈指の人気スポットとなっています。

芥川も愛した「銀ブラ」喫茶店

シニア世代なら上京ついでに「銀ブラ」をしたい人もいるのではないでしょうか。

この言葉、一般的には「銀座をブラつく」の意味だが、命名の由来は、実は芥川龍之介(1892~1927年)も常連だった銀座のとある喫茶店。

少し離れた場所には「赤毛のアン」の翻訳で知られる村岡花子(1893~1968年)の勤務先があった書店もあります。

銀座通り沿い、新橋に程近い所にブラジルコーヒー専門の喫茶店「銀座カフェーパウリスタ」があります。

1911年開業の、現存する日本最古の喫茶店だが、慶応大学の学生たちが、三田キャンパスから歩いて同店のブラジルコーヒーを飲みに行くことを「銀ブラ」と呼ぶようになったという記録が残っています。

芥川も、幾つかの作品の中に同店を登場させるほどの愛好者でした。

同店運営会社の長谷川泰三相談役は「芥川の遺稿の『或阿呆の一生』の中の『鏡』に出てくる、芥川が自死の1ヵ月前に無数の自分の姿を見たと記している鏡も当時当店にあった物とされています。

いろいろな意味で縁の深い方でした」と語る。

村岡花子の勤務先だった書店も

同店から銀座通りを東京駅方向に10分ほど直進すると、道の反対側に緑色の看板が目印の書店「教文館」がありまする。

その3階のキリスト教書売り場には、かつて村岡花子が勤務した編集部がありました。

そのスペースは、現在は床に貼られた白いテープで小さく囲われているだけですが、当時の様子がしのばれます。

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