すごい日本のトンネル技術

NATM工法が主流に

明治以降、鉄道と共に発展

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計画通りにいかない

山を貫き通し、道と道をつなけ、町と町を結ぶ。

今やトンネルは、交通にとって欠かせない存在です。

それを握る日本のトンネル技術は世界最高水準といわれます。

橋りょう、船舶、高層ビル……。数ある土木工事の中でも、実はトンネルは異質な存在。

多くの構造物が99%計算に基づいて設計されるのに対し、ひところまでトンネルの世界では「KKD(経験・勘・度胸)」が幅を利かさざるを得ませんでした。

トンネルを掘っていく地山の地層は均質ではありません。

さまざまな地層が入り組み、空隙まであることも。

つまり、硬い岩石や軟弱地盤に出あったり、出水、落盤など、予想外の現場に遭遇し、計画通りにいく方が少ないぐらいだったのです。

地層が異なるため、同じように工事を進めることはできません。

要するにトンネルの素材の不均質のため、実験と理論の構築と施工技術との兼ね合いがうまく融合できませんでした。

そのため「設計が先か、施工が先か」という議論が、いつもつきまとっていました。

掘削したところを素早くコンクリートで固め、ロックボルト(岩盤とコンクリートとを固定する特殊なボルト)を岩盤奥深く打ち込み、トンネルを保持するNATM(ナトム)工法が主流になってから、経験至上主義のトンネル工法の色合いが少しずつ変化してきました。

江戸初期に箱根用水

日本で数多くのトンネルが造られるようになったのは、明治以降のこと。

それまでは、山岳信仰があり、神聖な山を貫き通すことはしてきませんでした。

唯一の例外は水路トンネルでした。

生きるために必要な水を通すためなら、仕方ないというわけです。

日本最古のトンネル水路といわれる箱根用水は、江戸時代初期に繋と槌による素掘りで造られました。

硬い岩石は火と油を使って熱してから水を掛けて急冷し破壊する方法も用いられていました。

明治になると鉄道が敷かれるようになり、急勾配の山では機関車が登れないため、トンネルの必要性が生まれます。

トンネルですと、峠の下を貫いて勾配を緩やかにして、短時間で山を越すことができます。

鉄道トンネルの第1号は、1871年(明治4年)に完成した兵庫県石屋川トンネルです。

このトンネルは山を貫いたものではなく、天井川の下を掘った川底トンネル。

高い位置を流れる天井川だけに、橋を架けて渡そうとしても急配となり、当時の機関車は川の上まで登ることがきなかったのです。

ちなみに、山岳トンネル第1号は逢坂山トンネル(滋賀県大津市と京都市山科区を結ぶトンネル)です。

印象深い青函トンネル

一番、印象に残っているのは青函トンネルです。

私は北海道生まれで、本州に渡るには青函連絡船に乗って約4時間もかかりました。

戦前からトンネルを掘る構想はあったのですが、なかなか実現できなかったのです。

より契機になったのは、1954年(昭和29年)の台風15号による洞爺丸の座礁事故です。

乗員・乗客1155人が亡くなるという大惨事でした。

工事は61年から88年まで、27年もの歳月をかけることになり、大工事でした。

海底トンネルの障害の一つは出水です。

山のトンネルの場合は中央部分が高くなるような拝み勾配で造られます。

水はけをよくするためです。

しかし、海底トンネルの場合は、中央部分を低くせざるを得ません。

必然的に、中央に水がたまり、くみ出すためにばく大な費用がかかります。

青函トンネルでは毎分40トンの漏水があり、くみ上げる費用は年間4億円(87年当時)もかかりました。

トンネルは他の構造物と異なり、地中に造られるもので、利用するのは掘り抜いた空間です。

実体が捉えにくいのかもしれません。

でも、今や日本が世界をリードする技術だけに、多くの皆さんに少しでも興味を持ってもらえたらと思っています。

記事下

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